院長 田辺 直樹日本眼科学会認定眼科専門医
当院では多様化する様々な目の病気から日帰り手術による治療まで熟練したスタッフが対応しております。
一人一人にあった治療を目指し、目の病気、手術、眼鏡処方、コンタクトレンズ処方、目の健康診断など幅広く対応しております。
地域の皆様のお役に立てるようスタッフ一同がんばりますのでよろしくお願いいたします。
略歴
昭和43年 | 愛知県名古屋市昭和区生まれ |
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昭和62年 | 名古屋市立菊里高等学校卒業 |
平成6年 | 札幌医科大学卒業 |
平成6年~16年 | 名鉄病院勤務 名古屋大学眼科入局 眼科医員 知多市民病院眼科医員 公立学校共済組合 東海中央病院眼科医長 |
平成16年 | 田辺眼科クリニック開院 |
所属学会
- 日本眼科学会
- 日本眼科手術学会
- 日本小児眼科学会
田辺直樹を更に詳しく知りたいあなた様へ
幼稚園時代
幼稚園の頃は元気いっぱいでいたずらばかりしている子供でした。
祖父が現在の場所で耳鼻咽喉科を開業していたのですが、祖父の医院の中を走り回っていました。
今振り返ると、医院にご来院されていた患者様や、祖父、医院のスタッフの方々にご迷惑をお掛けしてしまったと、ちょっと反省しています。
音楽を聴くのが好きで、最初は聴くばかりだったのですが、いつからか「自分でも音楽が出来るようになりたい!」という気持ちになり、4歳からエレクトーンを習うようになりました。
小学生時代
小学校2年生の時に大好きだった祖父が亡くなり、非常に寂しい思いをしました。
幼稚園の頃、院内を走り回っている私を温かく見守ってくれる祖父が、もうこの世にいないと思うと自然と涙が溢れてきました。
祖父が亡くなった後は、勤務医だった父が医院を継ぐようになりました。
元々音楽が好きだったので、小学校でもブラスバンド部に入り、トランペットをやっていました。
「簡単に吹けるだろう」と最初は甘く見ていたトランペットですが、実はしっかりとした音が出るまでにはマウスピースへの口のあて方や、呼吸の仕方は、特に小さい身体の小学生にはかなり大変なものでした。
だからこそ、しっかりとした音が出た時にはとても感動しました。
ブラスバンド以外に小学校5年生の時には生徒会長を務めたり、小学校6年生の時に新聞でホームステイの記事を見つけ、両親を説得し、1ヶ月間1人でアメリカに行くような、とにかく積極的に活動する子供でした。
今でも診療や医院経営に関するセミナーや勉強会に積極的に参加する姿勢は、小さい頃から変わっていないようです。
中学生~高校生時代
中学生の時にはバスケット部に入ったのですが、何となく合わずに2~3ヶ月で退部しました。
中学生の時には勉強ばかりしていた記憶があります。
高校時代は身体を動かしたかった事もあり、硬式テニス部に入ったのですが、何故か一生懸命打ち込む事が出来ず、部活だけでなく、勉強にも身が入りませんでした。
今振り返ると、何故あの時は何をやっても真剣に打ち込めなかったかというと
「自分が何をやりたいのか」
「これからどうしていきたいのか」
「何のために勉強、部活をやるのか」
という事が自分の中で定まっていなかったからであるように思います。これは仕事をするようになってからも思いますが
「自分が何をやりたいのか」
「何のためにそれをやるのか」
という事が明確であればある程、軸がブレないように思います。
ですから高校2年生の頃から父と同じように医師になりたいと思っていましたが
「何故医師になりたいのか?」
「どんな医師になりたいのか?」
「何のために医師になりたいのか?」
という明確な目的目標が無かったため、特に一生懸命勉強に打ち込む事もなく、気が付けば高校3年生の頃には成績は真ん中よりも下になっていました。
結局希望校に合格せず、浪人することになって初めて「このままの自分ではダメだ!」と気付く事が出来ました。
大学時代
元々北海道に憧れていたこともあり、大学は札幌医科大学に入学しました。北海道は空気も食事も美味しいですし、人々の心もとても温かい地ですので、今でも大好きです。
大学時代はゴルフ部に入り、部長を務める事になりました。
この時に
「リーダーシップとは何か?」
「人をまとめるという事はどういう事か?」
「組織内のリーダーの役割とは?」
という事を考え、行動に移していった経験が、現在田辺眼科クリニックの経営者を務めていく上で、非常に生かされていると感じます。
大学5年、6年生の時には臨床中心の講義と実習になり、ひたすら勉強勉強の毎日でした。その際に色々な診療科に惹かれたのですが、大学を卒業する頃には
目が見えているという事は、当たり前のようだけど実はとても素晴らしい事。
しかし世の中には「視力が低下している…もっと良く見えたら良いのに…」と、自分の目について悩んでいる人が数多くいるんじゃないか?
もっと見えることの喜びを感じてもらえるような眼科医になりたい!
私が眼科医を志した瞬間でした。
勤務医時代
大学卒業後は実家のある名古屋に戻り、名鉄病院で内科や外科などのローテイト研修(医師の新人研修のようなものです)をしました。
既に「眼科医になるんだ!」と決心はしていましたが、目の事しか分からない眼科医よりも全身の事を理解出来る眼科医になるために、毎日毎晩、一生懸命勉強しました。
その後、名古屋大学の眼科に入局し、大学病院で多くの症例や手術に触れる機会を得る事が出来ましたし、その後の知多市民病院、東海中央病院に移った後も、伊藤逸毅先生(現在名古屋大学准教授)と共に、多くの臨床経験を積む事が出来ました。
また、東海中央病院時代に、佐藤美保先生(現在 浜松医科大学准教授)に小児眼科を教えて頂く機会に恵まれたことは大きな財産になりました。
開業~現在
8年間、勤務医を経験した後、生まれ育った名古屋市昭和区で地域の人々に最高の医療サービスを提供したいという思いが強くなり、平成16年4月に田辺眼科クリニックを開院しました。
医療技術面では病院と同じレベルの診断、手術が出来るように設備を整え、サービス面では今までの医療機関ではない、ホテルのような接遇が出来るクリニックを目指し、求人活動にも力を入れていきました。
現在当院で活躍してくれているスタッフは、数多くのご応募から選考に選考を、吟味に吟味を重ね、採用に至ったプロフェッショナル達ばかりです。
田辺眼科クリニックの最も誇れるところは、この「人財」と言っても過言ではありません。
このような人財の活躍により、患者様がクリニックにご来院されると、ホテル並の接遇が出来るコンシェルジュがお出迎えし、検査は視能訓練士という国家資格を有するスタッフが行い、手術は経験豊富な看護師と行うという最高のチーム医療サービスが出来るクリニックになりました。
患者様からは「こんな笑顔あふれるクリニックはない」とお褒めの言葉を頂くようになり、愛知県外からもわざわざご来院頂けるクリニックに成長しました。
「当院の理念や診療姿勢を、もっと多くの人にご提供したい!」という情熱が叶い、平成20年11月、中川区八熊通に分院やぐま眼科クリニックを開設しました。
最後に
患者様がご来院されたとき、スタッフ全員が笑顔でお出迎えし、知識も技術も兼ね備えたプロフェッショナルによる適切な診断、治療を受け、お帰りの際には、ご来院された時よりも、笑顔で、元気に、安心して「また来るからね!」とおっしゃって頂けるようなクリニックでありたいと思っています。このような思いの下、以下の医院理念を打ち出しております。
- 私たちは地域の方々に信頼されるクリニックになるよう努めます
- 私たちは患者様が感動できる医療サービスを提供できるように努めます
- 私たちは患者様に感動して頂くために、お互い理解しあい、心から尊敬しあう心を忘れません
- 私たちは誇りと喜びとやりがいを持てる職場環境を目指します
医院理念とは「医院が進んでいく方向性」を意味します。私達はこの医院理念の実現のために、毎日仕事に取り組んでおります。
ここまでお読み頂きましてありがとうございました!
あなた様とお会い出来る事を楽しみにしております。